1933年に市となってから、延岡はどのように変わってきたのでしょうか。歴代市長、人口、選挙、産業、合併、道路、災害などの記録を、延岡市公式ホームページ等の公的資料からたどります。当サイトは公式サイトではありません。
歴代市長の就任・退任は歴代市長アーカイブで、市長ごとの選挙結果・出来事の比較は歴代市長の比較で確認できます。延岡市公式資料等で確認できる範囲のみを掲載しており、日付が月までしか判明していない出来事は「〇〇年〇月」と表示しています。確認できていない事項は空欄にせず「確認中」「未収集」等で示しています。
この年表には、延岡市の事業ではない出来事(宮崎県が設置した学校・病院、宮崎県が主催し延岡市が参加した催しなど)も含まれます。一次資料で実施主体を確認できた出来事には「実施主体」「延岡市との関係」を表示しています(12件)。表示が無い出来事は実施主体を確認中であり、延岡市の事業であることを意味しません。延岡市内で行われたことと、延岡市が実施したことは別です。
220件の記録すべてを読む前に、市政史の大きな流れをつかめるよう、一次・公的資料で重要性が説明できる出来事を7件選びました(当サイト独自の順位付け・評価ではありません)。
1933年2月(日不明)
延岡市 市制施行
延岡市の始まり(市制施行)。
1945年6月29日
延岡空襲
太平洋戦争末期の空襲。戦後復興の出発点。
1947年4月15日
延岡市長の直接公選制開始(第8代佐藤千吉郎氏から)
市長が住民の直接選挙で選ばれる制度への転換点。
1964年1月(日不明)
日向延岡地区新産業都市に指定
旭化成の工業都市としての発展を後押しした国の指定。
2006年2月20日
北方町・北浦町編入
平成の大合併の第一段階(北方町・北浦町編入)。
2007年3月31日
北川町編入
平成の大合併の完了(北川町編入)、現在の市域が確定。
2012年12月(日不明)
東九州自動車道・国道10号延岡道路 同時供用
県北の交通事情を大きく変えた高速道路網の整備。
国勢調査とは、総務省が5年ごとに実施する全国一斉の人口調査です。延岡市統計書(延岡市公式資料)が公表する、現在の市域(2007年3月時点)に組み替えた人口を表示しています。
大正9
69,114人
大正14
72,886人
昭和5
80,121人
昭和10
114,251人
昭和15
117,271人
昭和22
116,196人
昭和25
132,859人
昭和30
146,716人
昭和35
151,800人
昭和40
148,662人
昭和45
149,567人
昭和50
153,432人
昭和55
154,881人
昭和60
153,835人
平成2
146,989人
平成7
141,751人
平成12
139,176人
平成17
135,182人
平成22
131,182人
平成27
125,159人
令和2
118,394人
1980年(昭和55年)の人口について:上のグラフは154,881人(現在の市域に組み替えた人口)です。当時の実際の行政区域(合併前の旧市域)では136,598人でした。市域が異なるため、単純にどちらが「正しい」ということではありません。
市町村合併について:延岡市は2006年2月20日に北方町・北浦町を、2007年3月31日に北川町を編入しました。合併前後で市域・人口の集計範囲が変わるため、年ごとの単純な人口比較には注意が必要です。人口の増減を特定の市長個人の成果・責任として説明するものではありません。
令和7年国勢調査(速報値):2025年10月1日現在の人口109,589人・世帯数50,351世帯(宮崎県総合政策部統計調査課「令和7年国勢調査 人口速報結果の概要」(令和8年5月29日))。速報値。確定値(人口等基本集計)の公表で改定されうるため、上の推移(確定値)には加えていない。現住人口・住民基本台帳人口とは別の系列。
出典:延岡市統計書 3.国勢調査(延岡市企画課、2026年8月19日確認)
| 調査年 | 総数 | 0〜14歳 | 15〜64歳 | 65歳以上 | 年齢不詳 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1980年 | 154,881 | 38,902 | 101,524 | 14,455 | 0 |
| 1985年 | 153,835 | 36,443 | 100,480 | 16,912 | 0 |
| 1990年 | 146,989 | 30,359 | 96,553 | 19,962 | 115 |
| 1995年 | 141,751 | 25,395 | 91,691 | 24,664 | 1 |
| 2000年 | 139,176 | 22,250 | 87,214 | 29,700 | 12 |
| 2005年 | 135,182 | 19,923 | 81,771 | 33,458 | 30 |
| 2010年 | 131,182 | 18,294 | 77,004 | 35,699 | 185 |
| 2015年 | 125,159 | 16,510 | 69,376 | 38,904 | 369 |
| 2020年 | 118,394 | 14,483 | 61,670 | 40,712 | 1,529 |
国勢調査(各年10月1日)の年齢3区分別人口。2005年以前は、延岡市(旧市域)・北方町・北川町・北浦町の公表値を単純合計して現在の市域にそろえた(按分・推計なし。合計は上の人口推移の値と全年で一致)。総数には年齢不詳を含む。表は原数値。2015年・2020年は、総務省が公表している年齢不詳補完値もデータに登録しているが、表には載せていない。住民基本台帳人口・現住人口とは別の系列。(単位:人。出典:総務省統計局「国勢調査 時系列データ 第6表 年齢(3区分),男女別人口及び年齢別割合-都道府県,市区町村(昭和55年~令和2年)宮崎県」)
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延岡市が令和2年度から取り組む市史編さん事業(令和18年度までに全17巻を刊行する計画)の初巻として、『延岡市史 史資料編 近世1』を刊行した。近世(1587年〜1871年の廃藩置県まで)のうち、天正15年(1587年)の延岡藩成立から元禄4年(1691年)の延岡城主・有馬清純の国替えまでの約100年間の歴史資料(光勝寺文書、立花家文書、丸岡有馬文書〈宮本武蔵書状を含む〉、白道寺文書など約60文書群・約280点)を収録。B5判・モノクロ(口絵カラー)・約780ページ、頒布金額5,000円(税込)、令和8年10月より市役所南別館にて販売予定。
これまでの確認作業追加調査で新規登録。1933年(延岡市制施行)以前の江戸時代(近世)を対象とする巻のため、本サイトの歴代市長・特別職データとは直接関連しないが、延岡市の公式な市史編さん事業の一環として市政年表に記録する。当サイトの調査記録 の整理番号ndl-src-08(2026-08-17に既発見・登録済み、市長の整理番号等の観点からは対象外=rejectedと判定済み)と同一資料。本記者発表資料により、頒布金額・ページ数・頒布方法・担当課(延岡市教育委員会 文化財・市史編さん課 市史編さん係、TEL 0982-22-7047)等の追加情報を独立した公式一次資料で確認できた。なお同発表資料には、令和9年3月末に西南戦争関連の『延岡市史 史資料編 近現代1』を刊行予定との記載があり、こちらは1933年以降の本サイト対象範囲に直接関連する可能性が高いため、刊行後の確認を次フェーズの課題とする。
宮崎県(総務部危機管理局危機管理課)が、自治会や自主防災組織を中心に行政・教育関係者・防災士などが参画する「防災実践塾」を延岡市で実施すると報道発表した。県は令和8年度に延岡市などをモデル地域と定め、事前ワークショップ・避難所開設訓練・避難所運営マニュアルの見直しを一連の流れとして行う。会場はアスリートタウン延岡アリーナ及びその周辺。参加機関は自治会、防災士、企業、延岡市(災害支援課)、宮崎公立大学など。日程は8月24日にストリートウォッチングとワークショップ、25日に避難所開設訓練と振り返りワークショップ。
宮崎県(総務部危機管理局危機管理課)が実施する事業として県が報道発表したもの。延岡市(災害支援課)は参加機関として同資料に明記されている。会場が延岡市内であることは延岡市の事業であることを意味しない。
主催は宮崎県であり、延岡市が単独で実施する事業ではない。延岡市は参加機関(災害支援課)として県の発表資料に明記されている。出典は開催前の報道発表で、実施結果を報告する公表資料は確認日時点では確認できていない。宮崎県の予算額・事業費は延岡市の予算ではないため本項目には含めていない。県は令和8年度に延岡市のほか宮崎市・日南市でも実施予定としている。
知事と市町村長が県政や地域の課題・将来の展望を議論し、県と市町村・市町村間の連携と協働を進める宮崎県主催の「円卓トーク」について、東臼杵ブロックの会合を令和8年8月25日午後3時40分から午後5時10分まで延岡市役所本庁舎5階災害対策本部室で開催すると県が報道発表した。出席者は知事、延岡市長、日向市長、門川町長、諸塚村長、椎葉村長、美郷町長。意見交換テーマ(予定)は「スポーツランドみやざきの推進に向けた取組について」「ジェンダーギャップ解消に向けた取組について」の2件。会場等の都合により報道機関以外の傍聴はできないとされた。
宮崎県(総務部市町村課)主催の会合として県が報道発表したもの。東臼杵ブロック(延岡市・日向市・門川町・諸塚村・椎葉村・美郷町)が対象で、出席者に延岡市長が明記されている。会場が延岡市役所であることは延岡市の主催を意味しない。
主催は宮崎県であり、延岡市が主催する会議ではない。会場が延岡市役所であること、延岡市長が出席者として県の発表資料に明記されていることから市政関連として登録した。県の発表資料に各首長の氏名の記載はないため、関連人物は開催日時点の延岡市長(三浦久知)としている。出典は開催前の報道発表で、開催結果や議論の内容を報告する公表資料は確認日時点では確認できていない。
宮崎県決定の都市計画道路「安賀多通線」の平原町2丁目交差点の区域が変更されたことに伴い、これに隣接する延岡市決定の都市計画道路2路線について、令和8年9月17日付けで計画を変更し決定告示した。変更したのは「3・5・9号 平和橋通線」(一部区域の変更)と「3・5・10号 若葉通線」(一部区域の変更および延長の変更)の2路線。変更までの手続きは、市民説明会(令和8年3月13日、オープンハウス形式、参加者0人)、都市計画変更案の縦覧(令和8年5月12日から5月26日まで、縦覧者0人・意見書0件)、延岡市都市計画審議会(令和8年7月8日)、宮崎県都市計画審議会(令和8年7月22日、安賀多通線の変更について)を経て、令和8年9月17日に決定告示された。参加者・縦覧者・意見書の件数は、いずれも延岡市の公表資料に明記されている値である(当サイトが確認できていないという意味の「0」ではない)。
変更の起点となった安賀多通線は宮崎県決定の路線で、今回延岡市が変更したのは隣接する市決定の2路線。市民説明会の参加者0人、縦覧者0人、意見書0件は、いずれも延岡市の公表資料に明記されている。変更後の区域・延長の具体的な数値は、同ページから別PDF(図書・総括図・計画図)として公表されているが、本文中に数値としての記載が無いため当サイトには登録していない。
読谷山洋司市長が、肺・膵臓の腫瘍発見による健康上の理由のため、2025年6月30日付で辞職した。7月1日〜19日は山本一丸副市長が市長職務代理者を務めた。
これまでの確認作業で、既存当サイトの歴代市長の任期データ(整理番号mayor-03-term-02の注記欄・出典情報、2026-08-08確認済み)に既に確認済みの辞職の事実を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。出典URLは2026-08-08時点の外部リンク監査で404(掲載期間終了)であることが確認済みだったが、これまでの確認作業(2026-08-23)でInternet Archiveの2025-06-13スナップショットへ差し替えた(歴代市長データ 整理番号mayor-03・整理番号mayor-14側と同一対応)。事実自体は歴代市長の任期データ側で複数報道と整合すると記録されているため、同ファイルの評価(一部確認済み)を踏襲した。市長職務代理者(山本一丸副市長、整理番号mayor-14-term-01)は既存整理番号civic-156の記述と対応する。
読谷山洋司前市長の辞職(2025年6月30日付)に伴う延岡市長選挙が行われ、新人3名による争いとなり、三浦久知氏(当時42歳)が20,052票を獲得し、次点のごとう哲朗氏(20,016票、36票差)を破り初当選した。投票率59.27%。
これまでの確認作業で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2025)・歴代市長の任期データ(整理番号mayor-01-term-01)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。出典に選挙ドットコム(二次資料ドメイン)を含むため、確認状況は一部確認済みとした(延岡市公式ホームページの出典情報も併記しているが、当サイトの処理スクリプトは出典情報内の全件が公式ドメインであることを要求するため)。
延岡市議会議員選挙が執行され、定数27に対し34名が立候補した。投票率48.50%(有権者97,613人、投票者47,343人、無効票377票)。
これまでの確認作業で、既存当サイトの選挙結果データ(election-council-2023)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。当選者27名の個別対応は選挙結果データの候補者一覧配列(人物データとの紐付け)を参照。
2023年4月23日執行の延岡市議会議員選挙(定数27)後、5月15日〜16日の臨時市議会で議長選挙・副議長選挙が行われ、松田満男議員が議長、早瀬賢一議員が副議長に選ばれた。同時に議会選出監査委員に中城あかね議員が選ばれた。任期は令和9年5月1日まで。前任の議長は松田和己氏(整理番号civic-166、2019年就任)。
これまでの確認作業で広報のべおかの全文検索データの候補を原紙PDF画像照合して新規発見。既存整理番号civic-166(2019年、松田和己氏議長・松田満男氏副議長)の後継人事にあたる。5/15・5/16のいずれの日に正副議長選挙が実施されたかは広報本文からは一意に特定できず、会議録検索システムでの追加照合が望ましい。
令和4年台風第14号により、延岡市内で死者1名、住家被害710棟(令和5年3月末時点)の被害が生じた。市は対応検証報告書を取りまとめた。
台風本体の九州上陸は気象庁発表等で2022年9月18日夜と広く報じられているが、延岡市公式ページ自体には接近・通過の日単位の日付明記が無いため、月まででとどめている。
任期満了に伴う延岡市長選挙が行われ、現職の読谷山洋司氏(当時57歳)が31,760票を獲得し、新人うちだりさ氏(24,088票)を破り再選した(投票率55.98%)。
これまでの確認作業(最新→過去の年次監査)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2022)・歴代市長の任期データ(整理番号mayor-03-term-02)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。出典(選挙ドットコム)が二次資料ドメインのため、確認状況は一部確認済みとした(当サイトの処理スクリプトの公式ドメイン判定基準に整合)。
北浦町で住宅が床下浸水するなど広範囲で被害が生じた。
竜巻が市街地を通過し、大きな被害が生じた。
2019年4月の市議会議員選挙後、平成31年・令和元年第1回臨時会(5月16日)で議長選挙が行われ、臨時議長・上杉泰洋氏の執行のもと、松田和己議員が議長に当選した。同日、副議長選挙も行われ、松田満男議員が投票総数27票中25票を得て副議長に当選した。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。副議長選挙の開票結果(有効投票25票、松田満男議員25票)は会議録全文で確認済み。議長選挙の開票内訳は今回未確認。
統一地方選挙にあわせて延岡市議会議員選挙が執行され、定数27に対し38名が立候補した。投票率52.22%。現職多数が再選。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-council-2019)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。定数は2015年の29から27へ削減されている(整理番号civic-065、2017年12月定例会での定数改正条例可決と対応)。
延岡市駅前複合施設「エンクロス」が開館し、延岡かわまち広場もオープンした。
山本一丸氏(当時58歳、市民環境部長)が議会全会一致の同意を経て延岡市総括担当副市長に就任した。
これまでの確認作業 Lane Dが発見・歴代市長データ(整理番号mayor-14)に反映済みの事実を市政年表データへも接続した。2018年2月に就任した読谷山洋司市長(整理番号mayor-03)の下での人事。山本一丸氏は後に読谷山市長の辞職(2025年6月30日付)を受け、2025年7月1日〜19日の間、市長職務代理者を務めた(整理番号mayor-14-term-01、既存データ)。副市長人事という点で整理番号civic-037(2007年、副市長制導入)・整理番号civic-047(2011年、副市長2人制開始・原田幸二氏就任)と同種の行政組織カテゴリの出来事として登録した。就任日(2018年4月1日)は宮崎日日新聞記事本文に明記されている。(出典が宮崎日日新聞という非公式・二次的な報道機関のため、確認状況を一部確認済みとした。事実自体は本人の副市長就任当時の同時代一次報道により高い確度で確認済み。)
平成30年第19回定例会(9月14日、議案第48号)で、教育委員会委員の伊東忠俊氏が同年11月17日をもって任期満了となるため、後任として久世由美子氏を選任する議案が可決された。久世氏は昭和40年から52年まで旭化成工業株式会社に勤務した後、オリンピック日本代表コーチや日本水泳連盟強化スタッフ等を歴任し、選任当時は宮崎県水泳連盟評議員・延岡市水泳協会副会長を務めていた。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。同日、副市長(特命担当・荒井崇氏)と教育長(澤野幸司氏)の選任も可決されている(市の特別職データ 整理番号csp-40・整理番号csp-41参照)。教育委員会委員は現在市の特別職データの市の特別職の役職区分に区分がないため、市政年表イベントとして記録した。
任期満了に伴う延岡市長選挙が行われ、新人2名の一騎打ちとなり、読谷山洋司氏が26,094票を獲得し、前市長・首藤正治氏の後継指名を受けた永山英也氏(25,527票)を破り初当選した(投票率49.68%)。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2018)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
2018年4月1日付で市役所の組織体制が改正された。健康福祉部では高齢福祉課に「地域福祉係」を新設、「健康長寿推進室」を「健康長寿のまちづくり課」に改組。農林水産部では「林務課」を新設、「農林畜産課」を「農業畜産課」に改称し「農産物振興係」を新設、「農山村整備課」を廃止し事務を総合農政課・林務課へ移管した。このほか、上下水道局収納対策課「営業係」の「地域連携係」への改称、資源対策課「業務係」廃止・「地域企画係」新設、教育委員会への「野口遵記念館建設室」「県体育館整備準備室」の新設も行われた。
これまでの確認作業(OCR検索)で目次記載のみ発見・候補D(確信度低)としていたものを、これまでの確認作業でPDF実画像により本文全文を確認し確定した。
門川南スマートインターチェンジが開通した。
北川町を中心に広範囲で浸水被害が生じた。
延岡市議会が、議員定数を27人とする条例改正案を可決した。
平成29年第11回臨時会(5月9日)で議長選挙が行われ、副議長・佐藤誠氏の執行のもと、佐藤裕臣議員が議長に当選した。前任・上田美利氏の任期途中での交代(次の市議選は2019年4月のため、統一地方選挙に伴う改選ではない)。2018年5月9日の第17回臨時会でも留任(副議長選挙のみ実施)し、2019年5月15日頃まで在任した。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。2017年は市議選のない年であるため、任期途中の議長交代(慣例による年次改選、または上田美利氏の何らかの事情による交代)と考えられるが、交代理由は今回未確認。
緊急援助隊を派遣し支援活動を実施した。
北川町を中心に広範囲で浸水被害が生じた。
延岡市役所新庁舎がグランドオープンした。
北浦町・北川町・北方町の3商工会が合併し、延岡市三北商工会が発足した。
新庁舎高層棟が完成した。
国道218号北方延岡道路が全線開通した。
東九州自動車道の佐伯-蒲江間が開通し、延岡市と大分市が高速道路で結ばれた。
2015年4月の市議会議員選挙後、平成27年第1回臨時会(5月19日)で議長選挙が行われ、臨時議長・佐藤勉氏(前議長)の執行のもと、上田美利議員が議長に当選した。2016年5月9日の第6回臨時会でも再選(副議長選挙のみ実施、議長選挙なしのため留任と推定)され、2017年5月8日頃まで在任した。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。得票内訳・退任理由は今回未確認。
統一地方選挙にあわせて延岡市議会議員選挙が執行され、定数29に対し35名が立候補した。投票率54.09%。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-council-2015)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
黒岩小中学校・北方学園小中学校で小中一貫教育が始まったほか、南浦中学校が誕生した。
建設中の新庁舎で、免震装置の概要説明及び見学会が開催され、市民約40人が参加した。工事の全体概要やスケジュール、免震装置の仕組みなどについて説明を受け、工事現場を見学した。
Windows OCR基盤による広報のべおかアーカイブ調査(令和8年8月)で発見。新庁舎建設基本構想(整理番号civic-045、2011年3月)・1期工事起工式(整理番号civic-050、2013年5月)と新庁舎高層棟完成(整理番号civic-052、2015年2月)の間の期間を補う情報として登録。元PDFページを画像化し目視で日付・内容を確認済み。
任期満了に伴う延岡市長選挙が行われ、現職の首藤正治氏が33,479票を獲得し、新人2名(おだ忠良氏11,403票、岩崎信氏2,014票)を破り3選した(投票率44.68%)。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2014)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
平成26年第22回定例会(9月22日、議案第53号)で、教育委員会委員の北林嘉晃氏が同年11月17日をもって任期満了となるため、後任として伊東忠俊氏を選任する議案が可決された。伊東氏は宮崎大学教育学部卒業後、延岡小学校・南小学校等で教壇に立ち、恒富小学校長等を歴任した後、平成22年3月に延岡小学校長を最後に定年退職。その後、市教育委員会の学校支援アドバイザー、教育推進指導員等を務めていた。伊東氏は2018年11月17日の任期満了で退任し、久世由美子氏が後任となった(既存整理番号civic-167)。
これまでの確認作業調査区分2後半で新規発見。既存整理番号civic-167(2018年、伊東忠俊氏の退任・久世由美子氏の就任)と対になる、伊東氏自身の就任記録。4年任期(2014-11-18〜2018-11-17)が 整理番号civic-167 の任期満了日と整合することを確認した。
平成26年5月8日の臨時会で正副議長・監査委員選挙が行われ、副議長に太田龍議員(2013年12月就任)が再選された。監査委員には上田美利議員が新たに選出された。
これまでの確認作業(広報のべおかOCR構造化)で新規発見。
延岡市制施行80周年記念式典が開催され、延岡市歌の追詞等が発表された。
2026-08-11に「近代の年表(2011年〜)」を独立に確認したところ、同一の出来事(2013年2月、市制施行80周年記念式典)が記載されていることを確認し、既存の出典情報へ追加した(既存の延岡市年表PDFの記載と一致)。
新庁舎建設1期工事の起工式を実施した。
市庁舎解体工事(一次解体)が始まり、建物解体がほぼ終了した(同年12月時点)。
議会の役割・議員の責務等を定める延岡市議会基本条例が成立・施行された。
県立延岡病院に新しい救命救急センターが完成し、運用を開始した。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡病院」と記載されており、宮崎県が設置・運営する病院の施設整備である。延岡市の事業ではない。延岡市の負担・共同実施を示す記載は同資料に無い。
平成25年第17回定例会(12月3日)で副議長選挙が行われ、太田龍議員が副議長に当選した。同年5月8日にも副議長選挙が行われ小田忠良議員が再選されていたため、年度途中での交代である(これまでの確認作業で前任者が小田忠良議員だったことを確認。12月交代の具体的理由〈辞職等〉は今回も未確認)。
これまでの確認作業調査区分2後半(FY2014〜2010)で新規発見。太田龍議員本人の就任挨拶(会議録全文)で確認した。これまでの確認作業(広報のべおかOCR構造化)で、広報のべおか2013年6月号・2014年6月号の記載から、前任者が小田忠良議員(2013年5月8日再選、同年12月に太田龍議員へ交代)であることを確認した(gap-vice-chair-names-block2を部分解消)。12月交代の具体的理由は今回も未確認。
平成25年第14回定例会(5月8-9日)で正副議長選挙が行われ、議長に佐藤勉議員、副議長に小田忠良議員がいずれも再選された。監査委員には本部仁俊議員が新たに選出された。
これまでの確認作業(広報のべおかOCR構造化)で新規発見。同年12月に副議長が太田龍議員へ交代しており(整理番号civic-174参照)、小田忠良議員はこの再選後、約7ヶ月で交代したことになる。
須美江IC〜北川IC間(5.6km)と北川IC〜延岡JCT・IC間(12.8km)が同時に供用開始した。
延岡市を含む宮崎県北部地域で、救急医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)の運航が開始された。
県立延岡ととろ聴覚支援学校・県立延岡わかあゆ支援学校・県立延岡たいよう支援学校の3校を統合し、旧県立延岡西高等学校跡地(野地町)に県立延岡しろやま支援学校が創立された。
宮崎県立特別支援学校の再編統合であり、延岡市の施策ではない(この出来事の補足欄にも記載)。市民の教育環境への影響が大きいため市政年表に収録している。
当サイトの調査作業(延岡市史横断調査)で新規発見。市史に統合3校それぞれの沿革として記載。県立特別支援学校の再編であり延岡市自体の施策ではないが、市民生活・教育環境への影響が大きいため市政年表候補として記録する。
老朽化した悠久苑(1978年10月建設、北川町長井)に代わる新しい火葬場として、熊野江町湯崎浦地区に「延岡市斎場いのちの杜」が総事業費約23億円をかけて完成し、市民公募により名称が決定した。悠久苑は33年間の役割を終えた。
当サイトの調査作業(延岡市史→市政年表統合監査)で新規登録。市史に「新施設は二十四年(二〇一二)三月に総事業費約二三億円をかけて完成...同年四月より運用を開始した」と記載。既存の新清掃工場「夢の杜」(整理番号civic-147、2009年4月供用開始)・新消防庁舎(整理番号civic-040、2008年)と同種の大型公共施設整備。
北川町で高病原性鳥インフルエンザが発生し、種鶏6,956羽を殺処分した。
北浦町で高病原性鳥インフルエンザが発生し、ブロイラー18,330羽を殺処分した。
延岡市新庁舎建設基本構想・基本計画を策定した。
緊急消防援助隊を岩手県陸前高田市に派遣(3/14〜21)。いわき市への救援物資輸送・義援金募集も実施した。
第三十代延岡市副市長に原田幸二氏が就任し、副市長2人制が開始された。
2011年4月の市議会議員選挙後、平成23年第1回臨時会(5月12日)で議長選挙が行われ、臨時議長・熊本貞司氏の執行のもと、佐藤勉議員が議長に当選した。2013年5月8日の第13回臨時会でも再選され、2015年5月18日頃まで在任した。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。会議録検索システムで「議長の選挙を行います」を平成22〜令和元年度で検索し(17件)、年ごとの議長交代パターンを確認した。2013年5月8日(第13回臨時会)に副議長・小田忠良氏の執行で議長選挙が行われ佐藤勉氏が再選されたことも確認済み。得票内訳・退任日(次期上田美利氏就任の前日と推定されるが未確認)は今回未確認。
統一地方選挙にあわせて延岡市議会議員選挙が執行され、定数29に対し33名が立候補した。投票率55.66%。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-council-2011)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
宮崎県で口蹄疫が発生し非常事態宣言が出された。延岡市も口蹄疫対策本部を設置した。
首藤正治市長が、副市長の選任を含む19件の議案を専決処分(地方自治法第179条に基づく市長の単独決定)とした。2010年9月定例会で複数の議員がこの専決処分について「市政を混乱のきわみに」陥れたと批判する発言を行った。専決処分自体の正確な実施日は今回未確認。
これまでの確認作業(調査区分2:2010〜2019年度監査)で新規発見。会議録検索システムで「副市長の選任」を全期間検索した際に議員の批判発言として発見した。専決処分の対象19件の内訳・実施日・専決処分に至った経緯(議会との対立の詳細)は今回未確認のため、今後の追加調査が必要。確認状況は、発言内容の要約であり専決処分そのものの一次資料(専決処分書等)を直接確認していないため一部確認済みとした。
平成22年第23回定例会(11月30日)で議長選挙が行われ、稲田和利議員が投票総数31票中25票を得て議長に当選した。前議長・後藤哲朗氏の後任。
これまでの確認作業(調査区分2)で新規発見。会議録全文で開票結果(有効投票25票、稲田和利議員25票)を確認した。前議長・後藤哲朗氏の在任期間の始期・退任理由は今回未確認。
任期満了に伴う延岡市長選挙が行われ、現職の首藤正治氏が41,738票を獲得し、新人井本英雄氏(23,029票)を破り再選した(投票率60.26%)。同日、市議会議員補欠選挙(欠員1)も執行され、大西幸二氏が当選した。
これまでの確認作業(調査区分2)で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2010、election-council-byelection-2010)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
平成22年5月11日の臨時会で正副議長・監査委員選挙が行われ、副議長に河野治満議員、監査委員に太田龍議員が選出された。
これまでの確認作業(広報のべおかOCR構造化)で新規発見。広報のべおか本文の記載のみに基づく(会議録での再確認は未実施)。
延岡市が定住自立圏構想における中心市を宣言した。
延岡市と高千穂町・日之影町・五ヶ瀬町の広域ごみ処理施設として、長浜町に新清掃工場が完成した(処理能力1日当たり218t)。
県立延岡病院の医師退職問題を受けた市民の署名活動(約15万人分)等を背景に、地域医療を守る条例が制定された。
延岡市が制定した条例であり延岡市の施策。背景に県立延岡病院の医師退職問題があるが、条例の制定主体は延岡市である。
平成21年第12回臨時会(5月7日)で議長選挙が行われ、副議長・松田和己氏の執行のもと、後藤哲朗議員が議長に当選した。既存市政年表データ 整理番号civic-162(2010年11月30日、稲田和利氏の当選)で交代するまで在任した。
これまでの確認作業で新規発見。既存整理番号civic-162(2010年、後藤氏から稲田和利氏への交代)に対応する就任記録。これまでの確認作業(調査区分2)では後藤氏の在任開始日が未確認だったが、本件で2009-05-07と確定した。得票内訳・交代理由は今回未確認。松田和己氏が2009年時点で既に副議長だったことも判明(後年2019年に議長に就任、既存整理番号civic-166)。
第五次延岡市長期総合計画を基本に置きつつ、都市力を高めるうえで戦略的意味が大きい事業を「リーディングプロジェクト」と位置づけた「新生のべおかプロジェクト」が策定された。中心市街地・地域医療・教育振興・生活環境施設等の大型事業を包括する首藤市政の中核的な政策枠組みとなった。
当サイトの調査作業(延岡市史→市政年表統合監査)で新規登録。当サイトの調査作業で読了済みの4386.pdf(歴代市長節)の記述を、市政年表への反映漏れとして今回追加した。市史第6編(産業経済の振興、商業・工業振興の各節)でも本プロジェクトが繰り返し言及されており、2000年代後半の延岡市政の中核的な政策枠組みであることを確認した。
延岡市・北川町の合併(2007年3月)に伴う合併協議会の附帯決議(「改選後は現条例定数30人からの削減を求める」)を受け、議会内の「議員定数検討特別委員会」(各会派選出9人)が類似団体視察・意見交換会・陳情審査を経て「次期定数は29人が適当」と結論。平成21年3月定例会本会議で議員発議により定数を29人に改正する条例案が可決された。
当サイトの調査作業(延岡市史→市政年表統合監査)で新規発見・登録。既存整理番号civic-137(1998年、32→30人)と整理番号civic-065(2017年、27人)の間を埋める定数改正。可決日の日単位は市史に記載がなく月単位にとどまる。
消防本庁舎・訓練塔・屋外付帯工事完了に伴い、消防本部・署が船倉町2丁目から野地町5丁目へ移転。4月に落成式が行われた。
柳沢町-大瀬町間に架かる新しい大瀬橋(長さ243.5m、幅16m)が完成した。橋脚を旧橋の8本から3本に減らすなど耐震性を大幅に向上させた。
延岡市と北川町が合併し、新延岡市が誕生。市域は大分県佐伯市に次ぐ九州第2位に拡大した。
地方自治法の改正に基づき助役制・収入役制を廃止し、副市長制を導入した。
下水道事業に地方公営企業法を適用し、水道事業と組織統合、名称を「上下水道局」とした。
北方町二股や曽木等の全域で土砂崩れや浸水被害が発生した。
台風4号が最接近し、10棟が床上浸水、116棟が床下浸水したほか、富美山町の青葉台地区でのり面が崩落し公民館や住宅4棟が被害を受けた。
2007年4月の市議会議員選挙(北川町編入合併後、定数33)後、平成19年第1回臨時会(5月9日)で議長選挙が行われ、臨時議長・内田喜基氏の執行のもと、新名種歳議員が議長に当選した。2009年5月6日頃まで在任し、後任は後藤哲朗氏(整理番号civic-183)。
これまでの確認作業で新規発見。選挙結果データ election-council-2007(2007-04-22執行、北川町編入後の定数33)に伴う改選後の議長選挙。2008年5月2日の会議録でも新名氏が議長として副議長選挙を執行していたことを確認し、在任継続を裏付けた。得票内訳は今回未確認。
延岡市と北方町・北浦町が合併し、新延岡市が誕生した。合併特例により農業委員数40人、市議会議員数58人となった。
死者3人、重傷者3人、軽傷者140人、全壊120戸、大規模半壊85戸、半壊280戸、一部損壊1134戸。災害救助法が適用された。
平成18年第19回定例会(2月28日)で、前助役の柳田喜継氏が同年2月3日付で退職したため、後任に杉本隆晴氏を選任する議案(議案第272号)が可決された。杉本氏は昭和22年生まれ、昭和45年延岡市役所入庁、衛生保健課衛生係長・大学立地推進室長・企画課長等を歴任後、平成14年4月から教育部長を務めていた。同日、収入役の選任(議案第273号)も行われた。杉本氏は2007年4月の副市長制導入後も継続して副市長を務めた(市の特別職データ 整理番号csp-35)。
これまでの確認作業で新規発見。既存市政年表データ 整理番号civic-037(2007年4月、助役制・収入役制廃止)の前段にあたる人事。杉本隆晴氏は2010年・2014年にも「副市長」として選任議決を受けているが(市の特別職データ 整理番号csp-35)、実際の在任は本件(2006年)から連続していたことが判明したため、整理番号csp-35の就任日を2006-02-28へ修正した。同日可決された収入役の選任(議案第273号)の被選任者名は今回未確認。
延岡市・北方町・北浦町の合併(2006年2月)を受け、議会内の「議員定数検討特別委員会」(各会派選出16人)が類似団体視察・意見交換会・陳情審査を経て「次期定数は33人が適当」と結論。平成18年12月定例会で議員発議により定数を33人に改正する条例案が可決された。
当サイトの調査作業(延岡市史→市政年表統合監査)で新規発見・登録。既存整理番号civic-129(1986年、36→32人)・整理番号civic-137(1998年、32→30人)・整理番号civic-065(2017年、27人)とは異なる、合併に伴う定数改正の欠落分を補完した(在任特例期間の旧2町議員28人・在任時定数58人を経て、次期一般選挙から33人に)。可決日の日単位は市史に記載がなく月単位にとどまる。
延岡天下町〜伊形町区間が開通した。
大規模な洪水被害が発生。死者1人、重傷者1人、軽傷者2人、全壊78戸、半壊649戸、床上浸水567戸、床下浸水788戸。災害救助法が適用された。
1市2町合併について北浦町で住民投票が行われ、賛成多数となった。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市・北方町・北浦町の合併協議会が合併協定調印式を行った。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
平成17年第14回臨時会(5月10日)で議長選挙が行われ、副議長・佐藤正人氏の執行のもと、稲田和利議員が議長に当選した(1期目)。2007年5月8日頃まで在任し、後任は新名種歳氏(整理番号civic-182)。稲田氏は後年(2010年11月30日、既存整理番号civic-162)に2期目の議長にも当選している。
これまでの確認作業で新規発見。既存整理番号civic-162(2010年、稲田和利氏の2期目当選)と対になる1期目の記録。2006年5月9日の会議録でも稲田氏が議長として副議長選挙を執行していたことを確認し、市町村合併(2006年2月・2007年3月)をまたいで在任していたことを裏付けた。得票内訳は今回未確認。
少子化の進行により、県立延岡西高等学校と県立延岡東高等学校を再編統合し、宮崎県立延岡星雲高等学校が新設された。両校は2007年3月に正式閉校となった。
宮崎県立高等学校の再編統合であり、延岡市の施策ではない(この出来事の補足欄にも記載)。市民の教育環境への影響が大きいため市政年表に収録している。
当サイトの調査作業(延岡市史横断調査)で新規発見。市史に「平成十七年(二〇〇五)四月に延岡西高等学校および延岡東高等学校を統合し...創立」との記載を確認(開校日の日単位までは記載なし)。両校の閉校式典は2007年3月。宮崎県立の学校再編であり延岡市自体の施策ではないが、市民生活・教育環境への影響が大きいため市政年表候補として記録する。
北方町で床上浸水34戸、床下浸水46戸、役場庁舎も床上浸水した。
北川の氾濫で床上浸水184戸、床下浸水125戸の被害が発生した。
北川町が、1市3町合併からの離脱を表明した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市・北方町・北浦町による法定合併協議会が設立された。同年12月に北川町が1市3町合併から離脱を表明(既存整理番号civic-142)した後も、この3市町での協議は継続し、2006年の編入合併(既存整理番号civic-034)に至った。
これまでの確認作業で新規発見。既存整理番号civic-191(2003年、1市3町任意合併協議会設立)の後継にあたる法定協議会。
台風16号が接近し、85地区18,180世帯43,771人に避難勧告が出された。
これまでの確認作業で新規発見。既存整理番号civic-030(台風18号)・整理番号civic-031(台風23号)と同じ2004年の別の台風。延岡市公式「近代の年表」に記載されている。
市制施行70周年記念式典が行われ、「未来をひらく人づくり都市宣言」が発表された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
九州保健福祉大学に薬学部が新設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
平成15年第26回臨時会(1月28日)で、助役の柳田喜継氏が同年2月13日をもって任期満了となるため、引き続き同氏を選任する議案が可決された。柳田氏は昭和8年生まれ、昭和34年熊本大学法文学部法学科卒業後に延岡市役所入庁、教育委員会学校教育課長・市民課長・税務課長・経済部長等を歴任し、平成3年に総務部長を最後に退職。助役としては平成3年(1991年)から在任しており、この選任で4期目となる。2006年2月3日付で退職し、後任に杉本隆晴氏(後の副市長、市の特別職データ 整理番号csp-35)が就任した。
これまでの確認作業(調査区分3:2000〜2009年度監査)で新規発見。「助役」は2007年4月の地方自治法改正で副市長制に移行する前の役職名(既存整理番号civic-037参照)。役職区分が市の特別職データの市の特別職の役職区分(deputy-mayor等)に存在しないため、市政年表イベントとして記録した。柳田氏の助役在任期間(平成3年〜平成18年2月3日)はFY2000〜2005(本Phase対象)を通じて継続していたことを確認した。1991年の最初の就任時期日単位の記録は未確認。
2003年4月の市議会議員選挙後、平成15年第1回臨時会(5月12日)で議長選挙が行われ、臨時議長・佐藤正人氏の執行のもと、甲斐勝吉議員が議長に当選した。2005年5月9日頃まで在任し、後任は稲田和利氏(整理番号civic-181)。
これまでの確認作業で新規発見。選挙結果データ election-council-2003(2003-04-27執行)に伴う改選後の議長選挙。得票内訳は今回未確認。
延岡市・北方町・北川町・北浦町による任意合併協議会が設立された。この後、北川町は2004年12月に離脱を表明(既存整理番号civic-142)し、2007年に単独で編入合併(既存整理番号civic-036)、延岡市・北方町・北浦町は2005年に合併協定調印(既存整理番号civic-144)を経て2006年に編入合併した(既存整理番号civic-034)。
これまでの確認作業で新規発見。1市3町合併協議の起点となる出来事。既存整理番号civic-142(2004年、北川町離脱表明)・整理番号civic-143(2005年、北浦町住民投票)・整理番号civic-144(2005年、合併協定調印)・整理番号civic-034(2006年、編入)・整理番号civic-036(2007年、北川町編入)と合わせ、合併の全過程を一次資料で連続確認した。
延岡市が東南海・南海地震防災対策推進地域に指定された。
これまでの確認作業で新規発見。
3月定例会で、九州保健福祉大学薬学部新設に対する20億円の財政支援予算が可決された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
任期満了に伴う延岡市長選挙が行われ、現職の櫻井哲雄氏が33,737票を獲得し3選した。
これまでの確認作業で、既存当サイトの選挙結果データ(election-mayor-2002)・歴代市長の任期データ(整理番号mayor-13-term-03)に既に確認済みの選挙結果を、市政年表データへ新規に接続した(新規のオンライン調査は行っていない)。出典が選挙ドットコム(二次資料ドメイン)のため一部確認済み。
旭化成レオナ工場で火災が発生し避難勧告が出された。これを教訓に、同年7月に延岡地域防災計画を修正した。
これまでの確認作業で新規発見。
平成13年第15回臨時会(5月9日)で議長選挙が行われ、副議長・下清水一正氏の執行のもと、戸田行徳議員が議長に当選した。2003年5月11日頃まで在任し、後任は甲斐勝吉氏(整理番号civic-180)。
これまでの確認作業で新規発見。2002年5月8日の会議録でも戸田氏が議長として副議長選挙を執行していたことを確認し、在任継続を裏付けた。得票内訳は今回未確認。
旭化成レーヨン工場の停止式が行われ、77年の歴史に幕を下ろした。延岡市の基幹産業である旭化成グループの地域的に重要な出来事。
これまでの確認作業で新規発見。FY2001の市政年表が空白だったため優先的に確認した。
台風21号の影響で浦城町など県北部で浸水や土砂崩れの被害が相次いだ。
これまでの確認作業で新規発見。
九州横断自動車道延岡線の一部となる国道218号北方延岡道路の起工式が行われた。同道路は2015年に全線開通した(既存整理番号civic-053)。
これまでの確認作業で新規発見。既存整理番号civic-053(2015年、全線開通)の起点となる出来事。
平成12年第8回臨時会(5月9日)の会議録で、佐藤道男議員が議長として副議長選挙を執行していたことを確認した。この会議録は延岡市議会会議録検索システムに収録されている最古の記録である。就任日は不明(本会議録より前の記録がシステム上にないため確認不能)。
これまでの確認作業(調査区分3:2000〜2009年度監査)で新規発見。延岡市議会会議録検索システムのトップページに明記された「平成12年第8回臨時会以降の本会議録」という収録範囲の最古端に該当する記録(これまでの確認作業§15の境界監査)。就任開始日・前任者は本システムの収録範囲外のため確認不能。
延岡市が宮崎県内で初めて「男女共同参画都市」を宣言した。
これまでの確認作業(調査区分3:2000〜2009年度監査)で新規発見。既存整理番号civic-034等と同じ延岡市公式「近代の年表」を出典とする。FY2000の市政年表が空白だったため優先的に確認した。
情報公開条例の施行に伴い「延岡市情報公開センター」の開所式が行われた。
これまでの確認作業で新規発見。
九州保健福祉大学が開学した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
国道10号延岡道路(延岡外環状道路)が着工した。
市議会議員定数を2人減の30人とする議員定数条例の一部改正案が賛成多数で可決された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
台風19号が猛威を振るい多大な被害をもたらし、災害救助法が適用された。
旧延岡小学校跡地に、図書館を核として多目的ホール・ハーモニーホール・アートギャラリー等を備えた複合施設「カルチャープラザのべおか」が完成・開館した。市立図書館は大正7年(1918)7月12日の宮崎県立延岡図書館開館以来の歴史を持つが、現在地への移転・現館舎での開館はこの日である。
当サイトの調査作業(延岡市史横断調査)で新規発見。市史に「九年(1997)二月二十一日に開館した」と日単位で明記されている(建設工事着手は平成7年3月、完了は8年10月)。当時の市長は櫻井哲雄(整理番号mayor-13、1994年2月〜2006年2月)。
4年制大学(後の九州保健福祉大学)誘致に関する基本協定の調印式が行われた。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
空き缶等散乱防止条例がスタートした。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
市制施行60周年を記念して「ハートフル憲章」が制定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
日豊本線の高速化事業が完了した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
上伊形〜門川町加草までの3.8kmに自動車専用道、延岡南道路が開通した。
東九州自動車道の延岡〜清武間が基本計画路線に決定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
「都市景観形成モデル都市」に指定され、出北土地区画整理事業が完了した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
東九州自動車道が国土開発幹線自動車道に組み入れられた。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
「テレトピア構想」のモデル都市に指定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
市議会議員定数を32人とする条例が決定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。【2026-08-21追記】延岡市史(1993年版)の年表でも同じ出来事(議員定数を減少する条例の制定)を独立確認し、出典を補強した(重複登録は避け、既存レコードへの出典追加のみ行った)。
延岡市長を2期務めた折小野良一元市長(既存歴代市長データでは第12代・第13代)が死去した。遺徳を偲び多くの市民が葬儀に参列した。
これまでの確認作業で新規発見。既存歴代市長データ(整理番号mayor-10)の没年月日(1986-10-20、従来はWikipedia由来)を、延岡市編さんの市史という一次資料で独立に裏付けた。同資料は折小野氏を「第十一・十二代」と表記しており、既存の代数表記(第12代・第13代)と1代のずれがある点を歴代市長データ 整理番号mayor-10の注記欄に記録した(自動的な上書きはしていない)。
須美江家族旅行村「サンビーチすみえ」がオープンした。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡総合文化センターが完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市史(1993年版)の年表に、黒木道男氏が市助役に就任したとの記載がある(昭和60年〈1985年〉2月)。日単位の就任日は同資料では確認できなかった。
これまでの確認作業(調査区分5:1980〜1989年度監査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 13200958、コマ427)を実閲覧して確認した。市の特別職データ 整理番号csp-44と対応する。当時の正式役職名「助役」のまま記録している。
延岡市史(1993年版)の年表に、前任の助役が退任し、後任に伊東義男氏が就任したとの記載がある。前任者氏名・正確な就任年月日は資料の解像度の制約により確実に判読できなかった。
これまでの確認作業で新規発見。市の特別職データ 整理番号csp-45と対応する。前任者・正確な日付が未確認のため確認状況は一部確認済みとした。誤読のリスクを避けるため、確実に読み取れた「伊東義男が就任した」という事実のみを登録している。
約26時間燃え続け、84haが延焼した。
市制施行50周年を記念して健康都市宣言が行われた。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市が「障害者福祉都市」の指定を受けた。
アメリカ・メドフォード市と姉妹都市提携を結んだ。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
国道10号延岡大橋が完成・開通した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
東九州自動車道路対策室が設置された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
国民体育大会秋季大会が開催され、福井県丸岡町(当時)と姉妹都市提携を結んだ。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市史(1983年版上巻)の歴代議長一覧に、佐藤済氏が第36代議長として1979年5月ごろに就任し、他の代と異なり2年間在職した旨の記載がある。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774711、コマ208)を実閲覧。「在職二年」の記載を確認し、他代(多くが1年)と異なる任期であることを確認した。日にちの判読精度に確信が持てないため月まで登録し、正確な日は今後の再確認課題とする。1980年度(FY1980)にもまたがって在任していた可能性がある。
延岡市史(1983年版上巻)の歴代議長一覧に、酒井正喜氏が第35代議長として1978年6月6日に就任した旨の記載がある。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774711、コマ208)の歴代議長写真・在任期間一覧表を実閲覧して確認した。早生隆彦市長の初当選(1978年11月5日)と同じ年度内の就任である。退任日は未確認。
延岡新港の使用が開始された。
木工団地が操業を開始し、県立延岡東高等学校が開校した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
旭化成第1火力発電所の集合煙突が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡大橋が開通し、延岡バイパスが全通した。
延岡市史(1983年版上巻)の歴代議長一覧に、黒木定夫氏が第32・33・34代議長として1975年ごろから3期連続で在任した旨の記載がある(各期おおむね1年ごとの改選)。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774711、コマ208)を実閲覧。3期分の自/至日付を確認したが、月日の判読精度(「五月一日」の繰り返しパターン)に完全な確信が持てないため、年単位のみを登録する。第34代の退任時期(第35代・酒井正喜氏への交代時期)も未確定。
日豊海岸が国定公園に指定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
清掃工場が完成し、日豊本線が電化された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。 【2026-08-21追記】延岡市史1983年版下巻の年表(コマ498)でも同時期に「新清掃工場が完成した」旨の記載を独立に確認した(既存記録の出典補強、重複登録はしていない)。
延岡市史(1983年版上巻)の歴代議長一覧に、松崎光行氏が第31代議長として1974年5月16日に就任した旨の記載がある(在職期間の記載あり)。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774711、コマ208)の歴代議長写真・在任期間一覧表を実閲覧して確認した。退任日(次期議長への交代日)は資料上「至昭和五○年」の記載を確認したが、日にちの判読精度に確信が持てず今回は登録していない。会期データ等の既存議会関連データとの突合はまだ行っていない。
東海・北川・北浦・北方の4農協が合併し延岡農業協同組合として発足した。
市制施行40周年を記念して緑化都市宣言が行われ、市の木・花・花木が選定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡新港の建設が開始された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市史(1983年版下巻)の年表に、延岡市工場誘致条例を廃止した旨の記載がある。前後の項に石油緊急事態(1973年11月の国の石油危機宣言)に関連するとみられる記述があり、1973年ごろの出来事と推定される。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774712、コマ498)を実閲覧して確認した。年表は国全体のニュース(石油緊急事態、田中首相東南アジア歴訪など)と市政ニュースが混在する構成で、月日の直接記載が本コマでは確認できなかったため、周辺の国政ニュースの時期から年のみを推定した。
延岡市史(1983年版下巻)の年表に、旭化成が宮崎総支社を新たに設け、刈谷副社長が総支社長に任命された旨の記載がある。整理番号civic-203と同時期(1973年ごろ)の項に記載されている。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774712、コマ498)を実閲覧して確認した。月日は本コマでは確認できず、年のみを周辺の国政ニュースから推定した。
特別養護老人ホーム「敬寿園」が開園した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
国鉄高千穂線が開通した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
宮崎県北部広域市町村圏協議会が発足した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
房野博が延岡市長選挙で再選し、第15代延岡市長に就任した。
これまでの確認作業 Lane C(司令塔本人によるNDL実閲覧)で新規発見。年表の昭和46年(1971)欄に「1. 延岡市長選挙 房野氏 第15代市長当選」との記載を確認した。既存歴代市長の任期データ(整理番号mayor-11-term-02.任期開始日=1971-01-22、延岡市公式年表による)と独立に整合する。得票数・投票率・対立候補の記載は同年表項目にはなく未確認。整理番号civic-152(1967年、第14代房野博氏無投票当選)・整理番号civic-151(1956年)・整理番号civic-153(1960年)と同じ延岡商工会議所四十年史を出典とする市長選挙記録として登録した。
延岡市史(1983年版上巻)の年表に、県・市・旭化成の三者で公害防止協定を締結したとの記載がある(房野博市長〈第15代〉再選と同じ年の項)。月日単位の確認はできなかった。
延岡市史(1983年版上巻)の年表に、宮崎県・延岡市・旭化成の三者で公害防止協定を締結したと記載されている。県と市の双方が締結当事者として資料に明示されているため共同として扱う(民間企業を含む三者協定である)。
これまでの確認作業(調査区分6:1970年代調査)で新規発見。国立国会図書館デジタルコレクション(個人送信サービス、pid 9774712、コマ496)を実閲覧して確認した。月日は同資料の当該箇所からは確認できなかったため年のみを登録する。既存市政年表データに同種の記載がないことを確認済み(重複なし)。
日向灘大地震が発生した(M5.7)。
房野博が対立候補なしの無投票で第14代延岡市長に当選した。
当サイトの調査作業で新規発見(整理番号finding-019)。「第14代市長房野博延岡市長選挙に当選(1.23)(無投票当選)」の記述を独立の一次資料で確認。既存歴代市長の任期データ(整理番号mayor-11-term-01.任期開始日=1967-01-22)とは1日差だが、投票日相当日と就任日は別概念であり矛盾ではない。
市内6農協が合併して延岡市農業協同組合として発足した。
祖母山・傾山・大崩山山系が国定公園に指定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
日向延岡地区が新産業都市に指定された(2市1町5村)。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。 加えて、NDL『日本の歴代市長第3巻』折小野良一個人略歴に「昭和三十九年一月 日向・延岡地区新産業都市建設にあたっては、政治力を結集して...重点を置いた」との記述があり、単なる在任期間中の出来事ではなく折小野良一本人が主導した事業であることを一次資料で確認した(本人が直接進めたと確認)。
旭化成ナイロン工場が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
旭化成が市立図書館を新築し寄贈した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市民憲章・市歌が制定された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。【2026-08-29追記】延岡市史(市制80周年記念10年史)口絵に掲載された市民憲章本文の末尾に「昭和三十八年二月十一日制定」との記載を確認し、市民憲章の制定日が日単位(1963-02-11)で判明した。ただし市歌の制定日については同資料でも個別の日付記載がなく、依然月単位(1963年2月)までしか確認できていないため、この2つを1つの日付でまとめている日付の表記自体は「日不明」のまま変更していない(市民憲章側のみ日単位が判明したことをここに記録する)。
市民会館内藤記念館が開館した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
日向延岡新産業都市指定促進期成同盟が組織された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
西階総合開発事業が開始された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
上水道事業が落成した。
1960年4月は市長交代月(青木善祐(整理番号mayor-09)退任4月18日・折小野良一(整理番号mayor-10)就任4月19日)にあたり、公式資料では日付が「4月(日不明)」までしか確認できていないため、いずれか一方の市長に断定せず紐付けを見送っています。
し尿処理場が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
折小野良一が第12代延岡市長に初当選した。
当サイトの調査作業で新規発見。「延岡市長選挙 折小野良一当選(第12代)」(4月)の記述を独立の一次資料で確認、既存歴代市長の任期データ(整理番号mayor-10-term-01.任期開始日=1960-04-19)と月単位で一致。得票数・対立候補(青木善祐氏を破ったとするWikipedia由来の既存記述)はこの資料からは確認できず。
桜ヶ丘に住宅団地が開設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
県立延岡商業高等学校が開校した。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡商業高等学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡青年会議所が発足した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
旭化成カシミロン工場が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
敬老年金制度が創設された。
青木善祐が23,264票を獲得し、19,528票の仲田又次郎(元市長)ほかを破って第11代延岡市長に初当選した。宮崎県内で初めての日本社会党系市長だった。
当サイトの調査作業で新規発見(整理番号finding-018)。得票数は独立の一次資料で確認したが、投票日そのもの(就任日要再確認、当サイトの調査記録 要再確認項目001参照)は依然未確定のため、日付欄は「日不明」とし、就任日そのものの確定は行わない。ページ内の他話題と隣接する組版のため句読点の対応は要確認。
延岡市・南方村・南浦村が合併した。
市庁舎が新築落成した。
小山橋が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
県立延岡ろう学校が設立された。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡ろう学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
野口記念館が開館した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
市警察署が廃止され、県延岡警察署が発足した。
日豊本線北延岡駅が開業した。
大瀬橋が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
最初の公立保育所が山下町に開設された。
延岡市教育委員会が発足した。
延岡市公平委員会が設置された。
整理番号civic-012の訂正過程で、同じ出典ページの1952年8月の記載が「人事委員会・農業委員会発足」ではなく「延岡市公平委員会設置」であることが判明したため、別項目として追加した。
人事委員会・農業委員会が発足した。
2026-08-14再調査:出典ページ原文を再確認したところ、年が1952年ではなく1951年8月であり、在任期間(歴代市長の任期データ)に基づくと整理番号mayor-07(三浦虎雄、在任は1952-07-11〜)ではなく整理番号mayor-04(仲田又次郎、第2期1948-07-16〜1952-06-19)の在任中の出来事であることが判明したため訂正した。1952年8月の出来事は別途「延岡市公平委員会設置」であり、整理番号civic-072として新規登録した。
五ヶ瀬橋が近代的な橋として完成した。
キジア台風により大瀬橋が流失した。
失業対策事業が開始された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
固定資産評価員が初めて任命された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市国民健康保険が創設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡郷土研究會編『延岡市史 第1巻』(石川恒太郎編)が刊行された。同書の序文によれば、編纂は大島文彦市長(在任1937〜1941年)の代に計画されたが、戦災で原資料の多くが失われ、仲田又次郎市長(当時在任中)の下で刊行に至った。
当サイトの調査作業再開(NDLサーチ個人送信サービス、claude-in-chrome経由)で新規発見。序文2件(コマ番号7・8)を確認:コマ7は本書刊行の経緯(原稿が1945年戦災で焼失し書き直した旨)、コマ8は「最初之が編纂を計劃した市長大島[文彦]」の記述と、末尾の「延岡市長 仲田又次郎」という署名を直接確認した。刊行日(月内の日付)はNDL書誌情報・本文いずれからも確認できていない。
国立水産試験場土々呂分場が開設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
祝子橋(ほうりばし)が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市公安委員会、延岡市警察署(国家地方警察延岡地区警察署)が設置された。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
県立延岡恒富高等学校・県立延岡岡富高等学校が設置された。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡恒富高等学校・県立延岡岡富高等学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
農業協同組合が発足した。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
学制改革により新制中学校が発足した。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。佐藤千吉郎氏個人の施策としての明示的な紐付け記載はない。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
県立から市立へ、延岡市立図書館へ変更された。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市選挙管理委員会が設置された。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市議会事務局が設置された。
在任中の一般的な市政動向として年表に記載。延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
第7代市長までは市会による間接選出だったが、第8代市長(佐藤千吉郎)から住民の直接選挙で選ばれるようになった。
当サイトの調査作業再開(NDLサーチ個人送信サービス)で新規発見。地方自治法(1947年4月17日公布・施行)による全国的な首長公選制導入と時期が一致するが、延岡市固有の記述として一次資料(延岡市史)で直接確認した。歴代市長一覧表の自・至年月日そのものは解像度の都合で確実に判読できず、今回は登録を見送った。 【2026-08-18追記】NDL『日本の歴代市長第3巻』佐藤千吉郎個人略歴に「七三四票で首位得票者となり…同(4月)十五日初の公選市長が誕生した」との記述があり、日付を1947年4月15日まで特定できた(整理番号findings-014)。得票数734票も本人主導の直接的事実として確認。
焼夷弾攻撃を受け市の中心地域が焦土と化し、市庁舎も焼失した。終戦後、市役所を岡富国民学校講堂に移した。
2026-08-17、NDLサーチ個人送信サービスで『延岡市史 第1巻』序文(コマ番号7)を確認したところ、「昭和二十年六月廿九日」に市役所保管中の資料が戦災で失われた旨の記述があり、既存記録(市庁舎焼失)と独立した一次資料で裏付けられた。
終戦を迎え、8月17日から市役所が岡富国民学校講堂に移転した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
県立延岡工業学校が開校した。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡工業学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
40日余り降雨が続き9月20日大洪水となり、川中・岡富・東海地域で大きな被害が発生した。
延岡商工会議所が宮崎商工経済会延岡支部となった。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
大洪水で大瀬橋が流失し、須崎橋は半壊した。
県立延岡図書館が再建された。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡図書館」と記載されており、宮崎県が設置した施設である。延岡市の事業ではない。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
出北町に東小学校が新設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市常備消防部が創設された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
19日午後10時、市庁舎から出火し、庁舎及び隣接の県立図書館を全焼した。
歴代市長の任期データで確認済みの任期空白期間(1937年1月6日〜3月6日、仲田又次郎(整理番号mayor-04)退任から鈴木憲太郎(整理番号mayor-05)就任までの間)内の出来事のため、特定の市長には紐付けていません。
東海村と伊形村が延岡市に合併した。
塵芥(じんかい)焼却場が完成した。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
須崎橋・五ヶ瀬橋が架設された。
延岡高等小学校が創設・統合された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡商工会議所が創立された。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
現在も使用されている延岡市の市章が決定された。円周部分が「の」、中央部分が「べ」を示し、全体で「岡」を表す意匠である。
当サイトの調査作業(延岡市史横断調査)で新規発見。市史口絵に「昭和9年(1934)3月28日決定」と日単位で明記されている。この時期の市長は初代市長仲田又次郎(整理番号mayor-04、任期1933年4月〜1937年1月ごろ)にあたるが、市章決定への本人の直接関与を示す記述は本資料にはないため、参考として在任市長のみ紐付けている。
延岡町が市制を施行し延岡市となった。人口42,401人、世帯数7,994世帯。
公式年表・公式PDFとも月までの記載にとどまり、日付(日)までは明記されていません。他情報源に「2月11日」との記載がありますが、公式一次資料で確認できないため採用していません。 市制施行日そのものであり、初代市長仲田又次郎(整理番号mayor-04)の就任日(1933年4月15日、歴代市長の任期データ)より前のため、特定の市長には紐付けていません。
延岡ガス株式会社が創業した(1934年9月からガス供給開始)。
延岡市公式サイトの原文を2026-08-14に確認済み。
延岡市発足初年度(昭和8年度)の一般会計当初予算が市会で議決された。歳入予算額340,595円、歳出予算額は経常部225,735円・臨時部114,860円の合計340,595円(歳入歳出差引残金ナシ)。
これまでの確認作業 Lane Aが延岡市史(1963年版)コマ137の本文を精読し確認した当初予算議決額(年度別の財政データ 年度=1933・当サイトの調査記録 1933年度参照)。同資料の本文は「本市が市制を施行した昭和八年(一九三三)において、その年度最初の(一般会計)予算案は市長職務管掌によって市会に提出され…議決されている」と記しており、初代市長仲田又次郎(整理番号mayor-04、就任1933-04-15)の就任前、職務管掌者(氏名は本文中に確認できず)の下で提出・議決された予算である可能性がある。市制施行そのもの(整理番号civic-002)とは別の出来事(予算の市会議決)のため新規登録した。決算額ではなく議決時点の当初予算額である点に注意。市会での議決日(月日)は本資料からは特定できていない。
延岡町・岡富村・恒富村が合併し、新しい延岡町ができた。
延岡町として成立した時点であり、延岡市制施行(1933年)前のため、歴代市長(延岡市長)とは紐付けていません。
年表データの最終確認日(最新値):2026年9月22日
サイトの最終更新(ビルド日時):2026年11月7日 09:30
フォーム内に「市政年表」など、対象のページが分かる名称をご記入ください。