あおき よしすけ
生没年:1892年11月1日〜1974年8月14日
延岡市長を1期務めた(第11代:1956年4月〜1960年4月ごろ)。長崎市長、宮崎市長を歴任した後、延岡市長に就任したとされる。
1960年市長選で折小野良一氏に敗れた(選挙落選)との記述がWikipediaにあるが、独立資料での確認はできていないため、退任理由は未確認のままとしている。生年月日は2026-08-17、延岡市史(1963年、NDL個人送信サービス)で独立した一次資料の裏付けを得た(出典情報参照)。在任中の主要政策(老朽福祉施設創設・名誉市民条例・就学補助費増額・敬老年金制度・都市計画・港湾整備等)はNDL『日本の歴代市長第3巻』で概要を確認したが、個々の実施年月日は未特定(2026-08-18)。
人口・出来事は在任期間との時期的な重なりを示すものであり、この市長の成果・責任を意味するものではありません(「在任中」という表現に統一しています)。
出典:4件(うち事典・百科事典1件は一次資料ではありません)。各出典の種別は、下の「出典・確認状況」欄に1件ずつ表示しています。
第1期 1956年4月21日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1960年4月18日ごろ(月まで確認・日は未確定)
就任日(日)は資料間で不一致(要再確認)。Wikipedia由来の既存値(任期開始日=1956-04-21)に対し、延岡市史(1963年版、NDLデジタルコレクション個人送信サービスで本文確認)の注記欄記載では「自昭和三一年四月一〇日」(1956-04-10)と読み取れるが、1文字誤読の可能性を排除できず未確定(当サイトの調査記録 要再確認項目001参照)。市政年表データ 整理番号civic-151の表記(就任日要再確認)と整合させること。任期開始日値自体は上書きしていない。【2026-08-19追記】延岡商工会議所四十年史により、選挙投票日が1956年4月19日であることを確認した。これにより就任日候補A(1956-04-10)は投票日より前になるため論理的に成立しないことが判明し、候補B(1956-04-21)がより整合的である。ただし就任日を直接記載した一次資料ではないため、確定(要再確認解消)はせず、任期開始日の上書きは行っていない。
当サイトの公約データベースは現職市長の任期のみを対象としており、歴代の市長の選挙公約・政策原文は収集していません(未収集)。0件確認済みという意味ではありません。
当サイトの詳細アーカイブは2019〜2026年度分のみを対象としており、この市長の在任期間はその収集範囲外のため未収集です(0件確認済みという意味ではありません)。
この市長単独の任期にあたることが確認できた年度です(年度途中で市長が交代した年度は、いずれの市長にも単独では紐付けていません)。
延岡市公式ホームページの年表・資料をもとにした「市政年表」のうち、この市長の在任期間(確認できた任期)に含まれることが一次資料から確認できた出来事です(在任中に発生した出来事であり、この市長が実施した政策・実績を示すものではありません)。市庁舎・行政組織・災害・公共事業・教育福祉産業等を対象としており、網羅を保証するものではありません。
この一覧には、延岡市の事業ではない出来事(宮崎県が設置した学校・病院など)も含まれます。一次資料で実施主体を確認できた1件には「実施主体」「延岡市との関係」を各出来事の下に表示しています。表示が無い出来事は実施主体を確認中であり、延岡市やこの市長の事業であることを意味しません。
し尿処理場完成
し尿処理場が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市長選挙で折小野良一氏が現職の青木善祐氏を破り初当選
折小野良一が第12代延岡市長に初当選した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る桜ヶ丘に住宅団地開設
桜ヶ丘に住宅団地が開設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る県立延岡商業高等学校開校
県立延岡商業高等学校が開校した。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡商業高等学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
青年会議所発足
延岡青年会議所が発足した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る旭化成カシミロン工場完成
旭化成カシミロン工場が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る敬老年金制度創設
敬老年金制度が創設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市長選挙で青木善祐氏が初当選(県内初の社会党系市長)
青木善祐が23,264票を獲得し、19,528票の仲田又次郎(元市長)ほかを破って第11代延岡市長に初当選した。宮崎県内で初めての日本社会党系市長だった。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る確認日:2026年8月5日
「1956年4月 青木善祐氏が市長に就任した」を年月単位で確認。
確認日:2026年8月14日
読み方(あおき よしすけ)、長崎市長(官選、1938年8月29日〜1940年3月11日)・宮崎市長(官選・第6代、1941年1月21日〜1945年1月20日)歴任の経歴の記述があるが、Wikipedia以外での裏付けは今回もできていない。生没年(1892年11月1日〜1974年8月14日)の記述もある。1956年市長選挙は日本社会党延岡支部の支援を受け初当選(得票率48.2%・23,264票)、1960年市長選挙は現職として立候補し折小野良一氏に1,139票差で敗れた(青木側得票25,654票・得票率47.6%)との記述があるが、いずれもWikipedia単独の情報で独立資料でのクロスチェックはできていない。(2026-08-15再確認)この記事には脚注8件があり、『日本の歴代市長 第3巻』『長崎市制五十年史』『長崎市制六十五年史 前編』(NDLデジタルコレクション)『宮崎市史年表』(NDLデジタルコレクション)『延岡市史』(NDLデジタルコレクション)『公職追放に関する覚書該当者名簿』が個別に引用されていることを確認した。無出典の記事より参考価値は高いと考えられるが、引用元原本は本調査ではまだ直接確認できていないため、確認状況は要確認のまま維持する。
確認日:2026年8月17日
当サイトの調査作業再開(NDLサーチ個人送信サービス)。上記Wikipedia記事が脚注として引用している『延岡市史』(NDLデジタルコレクション)そのものを直接確認した。「明治二五年一一月一日生」の記述を確認し、既存生年月日(1892-11-01)と完全に一致。これによりWikipedia側の記述もこの一次資料で裏付けられたことになる。同じ列で就任日を「自昭和三一年四月一〇日」(1956-04-10)と読み取ったが、既存任期開始日(1956-04-21、Wikipedia)と一致しない(10日/21日)。1文字誤読または隣接列との対応関係の誤りの可能性を排除できないため、既存値は上書きせず候補値として記録する(当サイトの調査記録 整理番号finding-008参照)。
確認日:2026年8月18日
当サイトの調査作業再開(フル解像度ビューアで確認)。政策・実績として「老朽福祉施設の創設」「名誉市民条例の制定」「就学補助費の増額」「敬老年金制度の創設」「都市計画事業の推進」「港湾施設の整備」「住宅地としての宅地造成」等の記述を確認した。このうち敬老年金制度は既存市政年表データ(整理番号civic-018、1956年7月創設)と独立に一致する。他の項目は今回はプロース全体の判読精度に自信が持てる範囲でのみ確認しており、個々の実施年月日までは特定できていないため、市政年表データへの個別登録はせずここに要約として記録するにとどめる(次回、精読して年月日を特定できれば正式登録する)。
サイトの最終更新(ビルド日時):2026年11月7日 09:30
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