みうら とらお
生没年:1883年5月19日〜1957年1月14日
延岡市長を通算3期務めた(第5代:1941年10月〜1942年4月ごろ、第6代:1942年5月〜1946年3月ごろ、第10代:1952年7月〜1956年3月ごろ)。海軍主計官を経て衆議院議員を5期務め、厚生政務次官等を歴任。1957年2月、延岡市名誉市民の称号を贈られた。
第5代の退任は衆議院議員選挙立候補のための辞職、第6代の退任は公職追放(連合国軍占領下のGHQ指令によるもの)と延岡市公式資料の文言(「辞職し」)に基づき登録している。2026-08-18、NDL『日本の歴代市長第3巻』で第5・6代の自至日付が月日単位で独立確認された(出典情報参照)。
人口・出来事は在任期間との時期的な重なりを示すものであり、この市長の成果・責任を意味するものではありません(「在任中」という表現に統一しています)。
出典:6件(うち事典・百科事典1件は一次資料ではありません)。各出典の種別は、下の「出典・確認状況」欄に1件ずつ表示しています。
第1期 1941年10月22日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1942年4月25日ごろ(月まで確認・日は未確定)
衆議院議員選挙立候補のための辞職と延岡市公式資料で確認。
第2期 1942年5月19日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1946年3月6日ごろ(月まで確認・日は未確定)
GHQによる公職追放を受けての辞職と延岡市公式資料の文言(「公職追放により辞職し」)に基づき登録。
第3期 1952年7月11日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1956年3月27日ごろ(月まで確認・日は未確定)
退任月は公式資料に明記がなく、次代・青木善祐の就任(1956年4月)より前であることのみ判明。退任理由も一切の資料で確認できていない。
当サイトの公約データベースは現職市長の任期のみを対象としており、歴代の市長の選挙公約・政策原文は収集していません(未収集)。0件確認済みという意味ではありません。
当サイトの詳細アーカイブは2019〜2026年度分のみを対象としており、この市長の在任期間はその収集範囲外のため未収集です(0件確認済みという意味ではありません)。
この市長単独の任期にあたることが確認できた年度です(年度途中で市長が交代した年度は、いずれの市長にも単独では紐付けていません)。
延岡市公式ホームページの年表・資料をもとにした「市政年表」のうち、この市長の在任期間(確認できた任期)に含まれることが一次資料から確認できた出来事です(在任中に発生した出来事であり、この市長が実施した政策・実績を示すものではありません)。市庁舎・行政組織・災害・公共事業・教育福祉産業等を対象としており、網羅を保証するものではありません。
この一覧には、延岡市の事業ではない出来事(宮崎県が設置した学校・病院など)も含まれます。一次資料で実施主体を確認できた2件には「実施主体」「延岡市との関係」を各出来事の下に表示しています。表示が無い出来事は実施主体を確認中であり、延岡市やこの市長の事業であることを意味しません。
南方村・南浦村編入
延岡市・南方村・南浦村が合併した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る市庁舎新築落成
市庁舎が新築落成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る小山橋完成
小山橋が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る県立延岡ろう学校設立
県立延岡ろう学校が設立された。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡ろう学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
野口記念館開館
野口記念館が開館した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る市警察廃止・県警察署発足
市警察署が廃止され、県延岡警察署が発足した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る北延岡駅開業
日豊本線北延岡駅が開業した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る大瀬橋完成
大瀬橋が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市教育委員会発足
延岡市教育委員会が発足した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市公平委員会設置
延岡市公平委員会が設置された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡空襲
焼夷弾攻撃を受け市の中心地域が焦土と化し、市庁舎も焼失した。終戦後、市役所を岡富国民学校講堂に移した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る終戦、市役所を岡富国民学校講堂に移転
終戦を迎え、8月17日から市役所が岡富国民学校講堂に移転した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る県立延岡工業学校が開校
県立延岡工業学校が開校した。
延岡市公式サイトの年表に「県立延岡工業学校」と記載されており、宮崎県が設置した学校である。延岡市の事業ではない。
大洪水
40日余り降雨が続き9月20日大洪水となり、川中・岡富・東海地域で大きな被害が発生した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡商工会議所が宮崎商工経済会延岡支部となる
延岡商工会議所が宮崎商工経済会延岡支部となった。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る確認日:2026年8月5日
「1941年10月 三浦虎雄氏が市長に就任した」「1942年5月 三浦虎雄氏は衆議院議員選挙立候補のため4月に市長を辞職したが、再び市長に就任した」「1946年3月 三浦虎雄氏が公職追放により辞職し」を年月単位で確認。
確認日:2026年8月5日
「1952年7月 三浦虎雄氏が市長に就任した」「1957年2月 三浦虎雄氏に名誉市民の称号が贈られた」を確認。
確認日:2026年8月5日
「第5・6・10代市長をつとめ」と代数を明記していることを確認。
確認日:2026年8月5日
生没年(1883年5月19日〜1957年1月14日)・経歴を確認。出典として明記された辞典の原本は本調査では直接確認できていない。
確認日:2026年8月17日
当サイトの調査作業再開(NDLサーチ個人送信サービス、ビューア84〜148%ズームで目視)。「明治一六年五月一九日生」の記述を確認し、既存生年月日(1883-05-19、コトバンク経由)と完全に一致した。コトバンク側は原本(政治家人名事典)を直接確認できていなかったため、本件により独立した一次資料での裏付けが得られた。あわせて同じ列で「自昭和二七年(1952)…至昭和三一年(1956)」の記述を確認し、第10代(整理番号mayor-07-term-03)の在任年についても一致を確認したが、月日の数字は判読に自信が持てず未転記(当サイトの調査記録 整理番号finding-006参照)。
確認日:2026年8月18日
当サイトの調査作業再開(フル解像度ビューアで確認)。「任期 昭和十六年十月二十二日〜(昭和)二十一年三月六日」(第5・6代通算)との記述を確認し、既存の第5代開始日(1941-10-22)・第6代終了日(1946-03-06)の両方と完全一致した(独立資料での裏付け、月日単位まで一致)。太平洋戦争終結(昭和二十年八月十五日)に言及する記述もあり。
サイトの最終更新(ビルド日時):2026年11月7日 09:30
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