なかた またじろう
生没年:1893年7月25日〜1970年1月23日
延岡市長を通算2期務めた(初代:1933年4月〜1937年1月ごろ、第9代:1948年7月〜1952年6月ごろ)。薬剤師として父の後を継ぎ薬種商を経営し、1928年に旧県北薬剤師会の初代会長を務めた後、延岡町議を経て、市制施行に伴う延岡市初代市長に就任した。
「橋かけ市長」「衛生市長」との通称は、延岡市公式「名誉市民」ページ(本人物の出典情報参照)に「都市の基礎となる施設建設などに手腕をふるい、橋かけ市長、衛生市長と呼ばれた」との記述があることを2026-08-14に確認した(以前は同ページを代数・就任年の出典としてのみ使用しており、通称部分の記述を見落としていた)。就任・退任の日単位の正確な日付は、いずれもWikipedia以外での裏付けが取れていない(延岡市公式資料は年月単位まで)。 9代の任期(1948-07-16〜1952-06-19)はNDL『日本の歴代市長第3巻』所収の個人略歴で独立確認済み(既存データと月日単位で完全一致)。 【2026-08-18追記】1956年市長選挙に元市長として再出馬し落選したことを、延岡商工会議所四十年史で新規確認した。【2026-08-24追記】夕刊デイリー2024年4月8日掲載記事で、薬剤師としての前職(薬種商経営、旧県北薬剤師会初代会長)と、1963年の延岡名誉市民称号授与・翌64年の胸像建立(延岡市城山公園)を新規に独立確認した。就任・退任の日単位日付は依然未確認のまま。
人口・出来事は在任期間との時期的な重なりを示すものであり、この市長の成果・責任を意味するものではありません(「在任中」という表現に統一しています)。
出典:7件(うち報道1件・事典・百科事典1件は一次資料ではありません)。各出典の種別は、下の「出典・確認状況」欄に1件ずつ表示しています。
第1期 1933年4月15日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1937年1月6日ごろ(月まで確認・日は未確定)
延岡市制施行(1933年4月1日)に伴う初代市長。退任理由は延岡市公式資料に「退職」とのみ記載され、辞職か任期満了かは判別できない。
第2期 1948年7月16日ごろ(月まで確認・日は未確定)〜1952年6月19日ごろ(月まで確認・日は未確定)
退任月は公式資料に明記がなく、次代・三浦虎雄の就任(1952年7月)より前であることのみ判明。退任理由も一切の資料で確認できていない。
当サイトの公約データベースは現職市長の任期のみを対象としており、歴代の市長の選挙公約・政策原文は収集していません(未収集)。0件確認済みという意味ではありません。
当サイトの詳細アーカイブは2019〜2026年度分のみを対象としており、この市長の在任期間はその収集範囲外のため未収集です(0件確認済みという意味ではありません)。
この市長単独の任期にあたることが確認できた年度です(年度途中で市長が交代した年度は、いずれの市長にも単独では紐付けていません)。
延岡市公式ホームページの年表・資料をもとにした「市政年表」のうち、この市長の在任期間(確認できた任期)に含まれることが一次資料から確認できた出来事です(在任中に発生した出来事であり、この市長が実施した政策・実績を示すものではありません)。市庁舎・行政組織・災害・公共事業・教育福祉産業等を対象としており、網羅を保証するものではありません。
延岡市長選挙で青木善祐氏が初当選(県内初の社会党系市長)
青木善祐が23,264票を獲得し、19,528票の仲田又次郎(元市長)ほかを破って第11代延岡市長に初当選した。宮崎県内で初めての日本社会党系市長だった。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る最初の公立保育所開設
最初の公立保育所が山下町に開設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る人事委員会・農業委員会発足
人事委員会・農業委員会が発足した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る五ヶ瀬橋(近代化)
五ヶ瀬橋が近代的な橋として完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見るキジア台風
キジア台風により大瀬橋が流失した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る失業対策事業開始
失業対策事業が開始された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る固定資産評価員を初めて任命
固定資産評価員が初めて任命された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市国民健康保険創設
延岡市国民健康保険が創設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る『延岡市史 第1巻』刊行
延岡郷土研究會編『延岡市史 第1巻』(石川恒太郎編)が刊行された。同書の序文によれば、編纂は大島文彦市長(在任1937〜1941年)の代に計画されたが、戦災で原資料の多くが失われ、仲田又次郎市長(当時在任中)の下で刊行に至った。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る国立水産試験場土々呂分場開設
国立水産試験場土々呂分場が開設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る祝子橋完成
祝子橋(ほうりばし)が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る東海村・伊形村編入
東海村と伊形村が延岡市に合併した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る塵芥焼却場完成
塵芥(じんかい)焼却場が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る須崎橋・五ヶ瀬橋架設
須崎橋・五ヶ瀬橋が架設された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡高等小学校創設・統合
延岡高等小学校が創設・統合された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡商工会議所創立
延岡商工会議所が創立された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市章の決定
現在も使用されている延岡市の市章が決定された。円周部分が「の」、中央部分が「べ」を示し、全体で「岡」を表す意匠である。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡ガス(株)創業
延岡ガス株式会社が創業した(1934年9月からガス供給開始)。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市発足初年度(昭和8年度)の当初予算議決
延岡市発足初年度(昭和8年度)の一般会計当初予算が市会で議決された。歳入予算額340,595円、歳出予算額は経常部225,735円・臨時部114,860円の合計340,595円(歳入歳出差引残金ナシ)。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る確認日:2026年8月5日
「1933年4月 初代市長仲田又次郎氏が就任した」「1937年1月 仲田市長が退職した」「1948年7月 仲田又次郎氏が市長に就任した」を年月単位で確認。
確認日:2026年8月14日
「昭和23年に再び第9代市長となり」と、代数・就任年(1948年)を明記していることを確認。2026-08-14の再確認で、同ページに「橋かけ市長、衛生市長と呼ばれた」という通称の記述が実在することも確認した(既存注記欄の「独立した一次資料での確認はできていない」はこの出典情報自体が該当していたため訂正した)。
確認日:2026年8月5日
生没年(1893年7月25日〜1970年1月23日)を確認。出典として明記された辞典類の原本は本調査では直接確認できていない。
確認日:2026年8月17日
当サイトの調査作業再開(NDLサーチ個人送信サービス、ビューア60〜148%ズームで目視)。「明治二六年七月二五日生」の記述を確認し、既存生年月日(1893-07-25、コトバンク経由)と完全に一致した。コトバンク側は原本を直接確認できていなかったため、独立した一次資料での裏付けが得られた。就任・退任の日単位日付(初代・第9代とも)は同じ表内に記載があるが、隣接列との対応関係を確実に判別できておらず今回は転記していない(当サイトの調査記録参照)。
確認日:2026年8月18日
個人略歴欄「任期 昭和二十三年七月十六日〜(昭和)二十七年六月十九日」を確認し、既存の9代任期(任期開始日 1948-07-16、任期終了日 1952-06-19)と月日単位で完全一致した(独立資料による確認)。戦災区域の整理復旧、上下水道の企画、人事機構改革など初代・9代共通の政策テーマの記述を確認。
確認日:2026年8月18日
1956年の市長選挙に元市長として再出馬し、19,528票を得たが、23,264票を得た青木善祐に敗れたとの記述を確認した(既存データにない新規の経歴情報)。
確認日:2026年8月24日
これまでの確認作業で新規発見。同市城山公園の仲田又次郎翁胸像前で毎年行われている顕彰会(延岡市西臼杵郡薬剤師会主催)を報じた記事。既存の生没年(1893-1970)・「橋かけ市長」「衛生市長」の通称と一致するほか、新たに(1)薬剤師で父の後を継ぎ薬種商を経営していたこと、(2)1928年(昭和3年)に旧県北薬剤師会の初代会長を務めたこと、(3)1963年(昭和38年)に延岡名誉市民の称号を受け、64年に胸像が城山公園三の丸に建立されたこと、を確認した。就任・退任の日単位日付についての新規情報はない。
サイトの最終更新(ビルド日時):2026年11月7日 09:30
フォーム内に「仲田 又次郎(歴代市長)」など、対象のページが分かる名称をご記入ください。