おりおの りょういち
生没年:1919年1月25日〜1986年10月20日/出身地:鹿児島県薩摩郡宮之城町(現・さつま町)
延岡市長を2期務めた(第12代:1960年4月〜1964年4月ごろ、第13代:1964年4月〜1966年12月ごろ。※延岡市史1993年版は「第十一・十二代」と表記しており1代のずれがある。詳細は下記の注記を参照)。延岡市総務課長・助役を経て市長に就任。退任後、衆議院議員(宮崎1区)を務めた。
第13代の退任理由(衆議院議員選挙立候補のための辞職)は延岡市公式資料で確認済み。生年月日はNDL『日本の歴代市長第3巻』所収の個人略歴で独立確認済み(Wikipedia値と完全一致)。その他の経歴詳細は同資料・Wikipedia経由の情報(詳細は出典情報参照)。【2026-08-21追記】延岡市史(1993年版)の年表でも死去(1986年10月20日、既存値と一致)を独立確認したが、同資料は折小野氏を「第十一・十二代」と表記しており、既存の「第12代・第13代」と1代のずれがある(要因未特定、詳細は当該出典情報の注記欄参照)。【2026-08-24追記】夕刊デイリー(延岡市の地方紙)2023年2月9日掲載「延岡市制施行90周年特集」の歴代市長一覧でも「折小野良一氏(第12、13代)」と記載されており、延岡市公式資料・NDL資料・延岡商工会議所史に続く4件目の独立資料が既存の「第12代・第13代」表記を支持することを確認した(1993年版延岡市史の「第十一・十二代」表記は変更せず両論併記のまま維持)。
人口・出来事は在任期間との時期的な重なりを示すものであり、この市長の成果・責任を意味するものではありません(「在任中」という表現に統一しています)。
出典:5件(うち報道1件・事典・百科事典1件は一次資料ではありません)。各出典の種別は、下の「出典・確認状況」欄に1件ずつ表示しています。
当サイトの公約データベースは現職市長の任期のみを対象としており、歴代の市長の選挙公約・政策原文は収集していません(未収集)。0件確認済みという意味ではありません。
当サイトの詳細アーカイブは2019〜2026年度分のみを対象としており、この市長の在任期間はその収集範囲外のため未収集です(0件確認済みという意味ではありません)。
この市長単独の任期にあたることが確認できた年度です(年度途中で市長が交代した年度は、いずれの市長にも単独では紐付けていません)。
延岡市公式ホームページの年表・資料をもとにした「市政年表」のうち、この市長の在任期間(確認できた任期)に含まれることが一次資料から確認できた出来事です(在任中に発生した出来事であり、この市長が実施した政策・実績を示すものではありません)。市庁舎・行政組織・災害・公共事業・教育福祉産業等を対象としており、網羅を保証するものではありません。
折小野良一元市長が死去
延岡市長を2期務めた折小野良一元市長(既存歴代市長データでは第12代・第13代)が死去した。遺徳を偲び多くの市民が葬儀に参列した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る市内農協合併
市内6農協が合併して延岡市農業協同組合として発足した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る祖母山・傾山・大崩山山系が国定公園指定
祖母山・傾山・大崩山山系が国定公園に指定された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る日向延岡地区新産業都市に指定
日向延岡地区が新産業都市に指定された(2市1町5村)。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る旭化成ナイロン工場完成
旭化成ナイロン工場が完成した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る旭化成が市立図書館を新築寄贈
旭化成が市立図書館を新築し寄贈した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る市民憲章・市歌制定
延岡市民憲章・市歌が制定された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る市民会館内藤記念館開館
市民会館内藤記念館が開館した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る日向延岡新産業都市指定促進期成同盟組織
日向延岡新産業都市指定促進期成同盟が組織された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る西階総合開発事業開始
西階総合開発事業が開始された。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る延岡市長選挙で折小野良一氏が現職の青木善祐氏を破り初当選
折小野良一が第12代延岡市長に初当選した。
同じ年度の財政・人口・議案等をまとめて見る確認日:2026年8月5日
「1960年4月 折小野良一氏が市長に就任した」「1964年4月 折小野良一氏が再び市長に就任した」「1966年12月 折小野良一市長が衆議院議員立候補のため辞職した」を確認。
確認日:2026年8月14日
生没年(1919年1月25日〜1986年10月20日)・詳細経歴の記述があるが、出典として挙げられた書籍の原本は本調査では直接確認できていない。鹿児島県薩摩郡宮之城町(現・さつま町)出身。1935年宮崎県立妻中学校卒業、1938年第七高等学校造士館卒業、1941年京都帝国大学法学部卒業との学歴の記述もある。1960年市長選挙は現職の青木善祐氏を1,139票差で破り初当選(戦後初の2期市長)との記述、退任後は民主社会党公認で衆議院議員2期(第31回:1967年1月29日〜1969年12月2日/第33回:1972年12月10日〜1976年12月9日)、1976年に政界引退、没後に勲三等旭日中綬章追贈との記述もあるが、いずれもWikipedia単独の情報。
確認日:2026年8月18日
個人略歴欄で「折小野良一は、大正八年一月二十五日に生まれた」の記述を確認し、既存の生年月日(1919-01-25、Wikipedia由来)と完全に一致した(独立資料による確認)。任期欄は「昭和三十五年」(起点)〜「昭和四十一年十二月一日」(終点)と読み取れ、既存の任期終了日(1966-12-01)と完全一致した。起点の月日(既存: 1960-04-19)はこの資料単独では月日精度まで再確認できなかったが、不一致は確認されていない。経歴として、京都大学卒、昭和23年延岡市議会事務局書記、昭和37年5月同事務局長、その後三浦市長・青木市長の下で助役を務め、市長に就任、と記載。主要事業として「昭和39年1月 日向・延岡地区新産業都市建設」に「政治力を結集して...重点を置いた」、五ヶ瀬川直轄河川整備事業への取り組みの記述を確認した(本人の直接関与が本文で明記されている)。
確認日:2026年8月21日
これまでの確認作業で新規発見。年表に「折小野良一元市長(第十一・十二代)が死去した。遺徳を偲び多くの市民が葬儀に参列した」との記載を確認し、既存の没年月日(1986-10-20、Wikipedia由来)を一次資料(延岡市編さんの市史)で独立に裏付けた。ただし本資料は折小野氏を「第十一・十二代」と表記しており、既存歴代市長データの「第12代・第13代」という代数と一致しない(1代分のずれ)。代数のずれの原因は今回特定できていない(助役による職務代理期間の扱いの違い等が考えられるが未確認)。既存の代数表記は延岡市公式「近代の年表」を主たる根拠としているため、矛盾を記録した上で今回は変更していない。
確認日:2026年8月24日
これまでの確認作業で新規発見。延岡市制施行90周年(2023年)を機に同紙が掲載した「歴代の市長」一覧で「折小野良一氏(第12、13代)」と記載されていることを確認した。同記事は初代仲田又次郎から第27・28代読谷山洋司(当時現職)までの全12名29任期分の代数を列挙しており、歴代市長データ/歴代市長の任期データの既存代数(各人物の第◯代表記)と全件で完全一致した。地方紙という独立媒体が延岡市公式資料・NDL『日本の歴代市長第3巻』・延岡商工会議所四十年史と同じ「第12代・第13代」を採用していることを新たに確認でき、延岡市史1993年版の「第十一・十二代」がこれら4つの独立資料と異なる例外である可能性がさらに補強された(ただし1993年版市史の記載自体は削除せず両論併記を維持する。原因は依然未特定)。就任日・退任日の日単位精度についての情報はこの記事には含まれていない。
サイトの最終更新(ビルド日時):2026年11月7日 09:30
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